迷えるオタク

感情置き場

オタ活と麻雀

麻雀というゲームがあります。
簡単なルールとしては、牌を"綺麗な順に"揃えて最初にアガリの形にした人が点数をもらえて最終的に1番多く点数を持っている人が勝ちというものです。
ポーカーみたいな感じです。
その"綺麗な順"にはいろいろ名前が付いていて、役(ヤク)と言います。
リーチとかタンヤオとか三色同順とか……。
その役をたくさん揃えれば点数も上がります。
しかし、数々の役の中には特殊なものがあります。
ドラです。
ドラというのは、それだけを集めてもアガれず、ボーナスポイントにしかならないというものです。
世の中にはこの「ドラ」に当たるものが多くあると思います。
「加点にはなるけれどそれだけでは決め手にならない物事」が世の中にはあるよねという話です。
とても良いんだけど何か足りない、みたいな状況がけっこうあると思います。
世の中いろんな人がいて皆んな可愛いんだけど全員は推さないよね、という話で今回の話につながってくるわけです。

オタクそれぞれにとっての「ドラ」もそれぞれ違うという点も面白いと感じています。
例えば、僕にとっての藤田さんで言うと、独特な性格の暗さが「アガリ役」で外見の可愛さが「ドラ」になるわけです。
でも、オタクによっては声、演技、etc.が「アガリ役」という人もいて、なんなら僕が「ドラ」に分類した外見の可愛さを挙げる人もいるかと思います。
人と話す時、その人にとって「アガリ役」と「ドラ」が何なのかが分かると一気にその人のことが分かったような気がしてとても楽しいです。
自分が気づいていなかった「役」に気付かされることもあります。
推しに対する新たな発見がまだまだあって楽しいです。
でも時々、僕が「ドラ」だと思っていることを「アガリ役」と思っている人から力説されると途端に冷めてしまう時があります。
そんなに冷めることもないのに、と自分で思うこともありますけど如何ともしがたいです。

常日頃から、自分の感情を疑っているのでこの手の事は良よく考えます。
この友達のどこを好きになって友達付き合いしてるんだろう、とか。
どうして最近話さなくなったんだろう、とか。
そんな事を考えた時に、僕にとっての「アガリ役」と「ドラ」の区別がはっきりしてくるような気がします。
なんとなくここまで生きてきて、僕にとって「ドラ」はとんでもなく広いけれど、「アガリ役」はとてつもなく狭い。
「ドラ」の価値はとんでもなく低くて、「アガリ役」の価値はべらぼうに高い。
だから時々とんでもなくエネルギーをもらえたり、とんでもなくダメージを受けたりするけれど、普段はほとんど波風が立たないような人になってしまったのかとも思います。


そんなところで今回はここまで。
読んでくださってありがとうございます。

P.S. ドラはなくてもアガれるという1番大切な話を書き忘れた。

愛し抜けるポイントがひとつありゃいいのに B'z