迷えるオタク

感情置き場

興味の有無について その2

興味のある事ない事にはどうしても波がある。
僕にも、藤田さんの性格が好きな時期があり、顔面が好きな時期があり、演技が好きな時期があり、〇〇が好きな時期があった。
〇〇は無限に挙げられそうな気がする。
逆にある時期は〇〇がそんなに好きでもない時期があった。
その波が起きるきっかけは、自分の精神状態であったり、環境であったり、他のオタクとの会話だったり、いろいろある。
でも、思い返せば藤田さんのことは今まで常にどこかの部分で好きだったことに気がついた。
これに気づいた時、とっても幸せな気持ちになった。
好きがずっと続いている。
でもこの気づきを他にも当てはめて考えるとちょっと悲しくなる。
たとえば、奈々さんのことは頭の中から消えている時期があった。
ライブもアニメもラジオも何一つ追わない時期があった。
興味が失せている時期があった。
そこが自分の中で推しとそれ以外を分けている壁なのかもしれない。
藤田さんは推しで、奈々さんは推しでない。
ふとした時に興味がなくなってしまう事に対して推しという言葉を使えない。
言葉の重さが怖い。

藤田さんの何かをこれからも常に好きで居続けらるのか、急に興味がなくなってしまうのではないか。
この不安は推しという言葉を使うたび、イベントに行くたび、メールを書くたびに付き纏ってくる。

他にも、新しく好きになった事から急に興味を失ってしまうかもしれない。
人に対してもだ。

そんな恐怖を感じているから種を蒔き続けて、新しく好きな部分を見つけるために今を楽しみ続けないと不安で仕方ないのかもしれない。